私が愛読しているzeraniumさんのブログで、

「人のような牛」というお話が引用されていました。

話者は、会津の押部キヨさんという方。

大正15年生まれ。

『会津物語』(赤坂憲雄+会津学研究会)に収められている一説です。



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   オレの家ではむかし、牛とヤギを飼っていた。
   同じ家の中にいたから、家族のようなものだった。何頭か飼ったが、中でも忘れられない牛がいる。それが農耕用に飼った最後の牛だ。言うことをよく聞き、まるで人間のような気持ちを持った牛だった。

   わが家の田んぼは、狭い田が何枚もあったが、その牛は来るとすぐから、ハナドリ(鼻取り・鼻輪に付けられた紐)もなしに上手にうなったり(耕したり)、代掻き(しろかき)をした。そのみごとな稼ぎぶりには驚くばかりだった。

   ある時、親戚の田んぼを手伝って欲しいと言われた。
   そこは上(のぼ)り下(お)りのあるきつい場所だった。ともかく牛を連れて行ってみた。すると牛は、上りは前足の膝(ひざ)を曲げながらのぼり、下りは前足を少し上げて尻餅のような格好でズルズルと下る。そんなこと教えもしないのに何でも自分で考える牛だった。

   時おり、「今日は頑張ってくれたな」と、好物の蕎麦粉(そばこ)で作った焼き餅を食べさせたものだった。牛は父ちゃんに対しては緊張していたが、オレには甘えるような仕草をした。

   牛とヤギに食べさせるための草刈りにも、毎日欠かさず連れて行った。
   刈った草を牛の左右の鞍(くら)に三束(さんたば)ずつ積むのだが、はじめのうちは積むのに難儀していた。

    ある日、「いまちっと、かがんでくれっと積みやすいんだがなぁ」と独り言をつぶやいたときのことだ。牛は急に前足を上げて、近くの低い窪(くぼ)みの ようなところにもたれかかり、体を低くしてくれた。おかげで楽に積むことができるようになった、それからは毎日、そうしてくれるようになった。

   その牛が来て三年ぐらい経った頃、いよいよ耕運機を買うことになった。
   それで仕方なく、牛を引き取ってもらうことになった。だが、迎えに来た博労(ばくろう)の人がいくら引っ張っても、牛は頑として動かない。

   オレも切なくて、「いままでよっぱら、骨折って頑張ってくれただから、これからは家さ帰ってゆっくりすんだぞ。博労さんの言うこと聞いて行くんだぞ」と言うのがやっとだった。

   すると牛は長く一声鳴いて、大きい涙を一筋流した。
   そして、踏ん張っていた足を緩(ゆる)めたようだった。

   あれのことは一生忘れられない。

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zeraniumさんのブログより


牛も私たち人間と同じく、感情がある。

魂をもっている。

私たちが牛を家族・友人と捉えれば、こころとこころが通じ合う。

愛に、牛は応えてくれる。

何かをお願いすれば、協力してくれる。


そして…悲しいときは、涙を流す。

「牛は長く一声鳴いて、大きい涙を一筋流した」

なんて切ないのでしょう。

家族と離れることを悲しんだのですね。

動物もつらいことがあれば悲しみ、涙を流すこと、

私たち人間は、いつから忘れてしまったのでしょうか。

それを知っていたら、動物を虐待したり、
屠殺したりはできないでしょう。





屠殺場に連れて行かれる恐怖で泣く、牛のエマ。
以下のサイトの動画(下のほう)をご覧ください。
涙を流す牛のエマ
ポロポロ、ポロポロ、涙の粒が流れていくのです。

(しかしこの後、幸運にもエマはドイツの牧場で伸び伸びと
生きられることになりました!)


このような繊細な美しい動物を、

人間は工場畜産でモノのように扱う。

蹴飛ばし、投げつけ、狭く不潔な場所に監禁し、最後は殺す。

人間のほうが、魂を失っているからこんなことができるのですね。

動物虐待は、結局人間のこころの問題に行き着く。

人間が病んでいる、苦しんでいる、この社会。

私が出来ることは全力でする。

最大限に力を出すにはどうしたら。。。?と考え込む毎日です。



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